さてさて、次の目的地Koenigsteinへ。
小高い山を下る為、再び木々の下で暫く涼しいハイキング。 Koenigsteinへのハイキングルートの標識が立っているだろうと 期待していたのに、それは見つからず・・・ 仕方なく、ここでもなんとなくの方向で歩き出しました。 やっと行く先を覆う木々がなくなり下界に出た!、標識が見つかるかな?と 先を進むとこんな素敵な建物がありました。5つ星のKempinskiホテルでした。 進もうとした道の先には「宿泊者に限る」という立て札があり・・・ 来た道をまた森の中へ戻り、違うルートを探すことになりました。 ちなみこの建物、もともとはサナトリウム、その後皇帝軍の将校達の保養地、 そしてクリニックと利用され、1999年にホテルになったとのこと。 この歴史を知ってしまうと、見ようによっては、ホーンテッドマンション、何か出そう? な雰囲気が漂っていなくもないかな・・・。 とはいえ、ホテル内の水道はタウヌス山脈から湧き出る水でお肌にも良さそうだし スパ施設もあるし、我が家から近すぎるけれど泊まってみたいな~。 (何度も言いますが)なんとなーーくの方向に歩いていて 段々と先行き不安になりながら歩いていると「見えました!」 Burgruine Koenigstein 後はこの建物を目印を見失うことなく歩けばとりあえず辿り着ける~。 廻り道しながらやっとのことで、お城の袂までやってきました。 先ほどのFalkensteinよりは建物の一部を保っています。 城門まで上り「さて、中へ入ろう」と思ったら、何やら「中世の騎士祭り」とやらで 入場料をとるらしい・・・ 実はこの日は「一銭も使わずに過ごす近場の休日」と心に決め、小遠足に出たので 初志貫徹、泣く泣く?お城内見学を諦めたのでした。 でもせっかく来たので、外から何とか覗けないかな?と それでは城塞の意味が無いですね。 近いので、また次回城内見学した際に城内をご紹介したいと思います。 (お祭りで無くとも2ユーロの入場料が必要なようです) お城の説明はというと・・ Kronberg城と共に、シュタウフェン王朝の命で12世紀に建設。 城は封土として様々な伯爵家の住居となったものの、その家系断絶後は 1581年にクアマインツ侯国の所有となり、軍事的、また監獄・牢獄として使用。 1796年革命戦争時に城は大打撃を受ける。(とはいえ、それ以前にこの街への 殖民者により、住居建材利用として、この城の破壊の大部分は進んでいた) その後この廃墟を1803年にナッサウ家、1866年にプロイセン家、 1922年以降Koenigsteinの街が所有。 現在見られる建物は一部はシュタウフェン期、一部は17世紀の改装時のもの。 -お散歩記は、まだ続くのです-
by glueck-ss
| 2009-06-06 05:08
| お散歩(ドイツ)
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